リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ  で思うこと。

リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、そこでウルグアイのムヒカ大統領の演説が話題になっています。グローバリゼーション、強欲な世界資本主義、消費社会の価値観に対し、真っ向からNoという、とても感動的なプレゼンテーションですが。(この方、ライフスタイルも主張も今話題の坂口恭平 独立国つくっちゃったあの方によく似ているように思います。)

ただ、その演説の中での最もキャッチーな言葉
「質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。」
これに僕はひっかかってしまったのです。イイネが押せない。

原発事故が起きた直後、僕のまわりにも「この事故をきっかけにいままでのエネルギー浪費型ライフスタイルを改めなければならない」という人がワンサカ出てきたわけですが、このロジックはそのまんま裏返すと「電気をワンサカ使うんなら原発に反対するんじゃねえ」になると思うのです。で、それおかしいだろ、原発じゃない方法で発電して電気好きに使ってやろうじゃん。そうすれば、太陽光発電つけたりエネファームつけたりして新しい消費が増えて「資本主義の、消費文明のまんまでも、環境にいいことできるじゃん、別にそこのところの価値観変える必要ないじゃん」というのが、僕の主張だったわけで。

ムヒカ大統領もそこのところはちゃんとわかって話をしていて、「我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。」と言っている。だから、そういう意味で、ムヒカ大統領の発言は首尾一貫し論旨明確なのですが。僕はそのことに「そうだそうだ」と言っている日本の人に、「あなたほんとにそうだそうだなの?」という疑問を正直持っているのです。

たとえば、今日は久しぶりに関東地方も蒸し暑かったわけですが、このムヒカ発言にそうだそうだ、というライフスタイルは、「エアコンつけずに暮らします」だとおもうわけですが、我が家は天気のいい夏の日は太陽光も発電ガンガンするので、家じゅうで3台エアコン稼働しても、なお、毎時2KWは売電していたわけです。エアコン我慢せず、電力を供給してOKだったのです。

話は飛びますが、坂本龍一さんの「たかが電気のために」発言が話題になり、産経が攻撃し、みたいなことがつい先日あったわけですが、「たかが電気」というのがイコール「電気いらない」みたいに勝手に受け取って批判する人がいるのはまったくちゃんちゃらおかしいですよね。だって坂本さん、電気自動車リーフの広告タレントなんだぜ。YMOって電気なしじゃ音楽にならないんだぜ。
これについては、原発事故直後に私の知人がすごく的確につぶやいていたのを、記憶をたどって再現すると
原発と言っても結局、蒸気でタービンまわして発電するわけでしよ。たかが、発電機のタービン回すために、なんでわざわざ原子力みたいな、いったん事故がおきたら取り返しがつかず、廃棄物の処理方も確立していないものを使う必要があるの?。たかが発電機のタービン回すんだったら、他にもいくらでも工夫すれば方法があるでしょ。という「たかが電気=たかが発電機のタービン回すために原子力必要あんのかよ」という意味と考えるのがただしくないですか。

ということで、ブーンと遠回りして、ムヒカ大統領の
「質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。」
に対する私の答えは、まず、みんな自分の身近で、再生可能エネルギーを使って発電する。そしてその電力の範囲で動く効率のよい電気自動車に乗る。こういう設備が、無理なく買えるように技術と産業が発展する。その発展速度と、インドの人の欲望拡大がうまくバランスすれば、大きな環境問題にはならない。です。インド人だけじゃなく、これから人口がもっともっと増えるアフリカの人も、みんな自動車、持てるもんなら持ちたくなるんじゃないかしら。そんなみんなが持っても大丈夫なエネルギーと車の技術と産業を、がんばって日本人は開発していこうよ。

また話が飛びますが、1980年代終わりころに、シンクタンクで未来予測の仕事をしていて、あの、糸川英夫博士にインタビューしにいったことがあるのですが、糸川先生の意見は「これからは分散型システムの時代になるよ。発電も通信も。たとえばインドネシアみたいな島だらけのところだと、大きな発電所から送電網を国中にめぐらすのはコストがかかりすぎる。電話も一緒。分散型の小型発電所、衛星を利用した無線電話網。先進国ではすでに中央集中型の社会システムができあがってしまっているけれど、発展途上国では、はじめから分散型の社会システムを作った方がずっと効率がよい」ということを、なんと20年以上前にお話しされてました。当時20代かけだしの僕はよく意味するところがわからなかったけれど。アフリカの発展途上の国で、携帯電話が、サバンナや砂漠での部族生活をしているような人たちにまで爆発的に普及しだしていることなんか考えると、ほんとにそうだな、と思うわけで。

これから発展する国は、欧米を追いかけるような、欲望をエンジンにする消費社会には変化すべきでない、というムヒカ大統領の意見は美しいけれど。でも、人間の欲望はそれを超えて強いんじゃないか、というのが僕の意見。携帯電話の便利さも、自動車がくれる移動の自由の快楽も、それはもし手に入るのなら、これから発展する国のひとだって、手に入れたいと思う。それは抑えられないのじゃないか。だからこそ、そうであっても、環境に負荷をかけない技術を開発していく。それを普及させ、価格を下げていく、その営みが必要なんではないか。

あの0円ハウスの坂口恭平さんだって「移動」は大事。といって、世界中を、日本中を飛び回っている。(クルマじゃなくて飛行機でだろうれど、飛行機はクルマよりもっとエネルギーを喰うよ)。そして携帯電話の番号をツイッターで公開して、「いのちの電話」として一日中、日本中のひとからの悩み電話にこたえている。

話がとっちらかってしまったけれど、このブログを始めた動機=「原発反対するなら電気使うな」という荒っぽい理屈への反発は、同時に「この事故を契機に、消費社会の価値観を見直す」論に対する反発でもあったのだ、ということをムヒカ大統領のスピーチと、それに対する「賞賛の嵐」に対する違和感から、思い出しました。というブログでした。

ちなみにムヒカ大統領スピーチ日本語版は
http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/
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コメント 1

NO NAME

ムヒカ大統領の言ってることを理解してないと思いますよ

ムヒカ大統領は環境、資源、エコロジーなどの問題の根源はハイパー消費社会の中で生きる貧困な心を持つ人々
もしくはハイパー消費を続ける経済社会にあると言っているのです。

エコであれば皆持っていい!
それは消費を煽る考えそのものであり
ムヒカ大統領が言った貧しい人そのものです

必要最低限のもので満足し物質的幸福ではなく精神的至福を重視することで
環境問題は大半が問題ではなくなる
そう言っているんです
by NO NAME (2012-08-30 23:08) 

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